Sanのブログ

統合失調症と診断されて4年が過ぎました。薬を処方されてからだいぶ良くなってます。気楽に更新していきますので、どうぞよろしくお願いします❗

別れ、当日の事。

令和2年2月18日 正午過ぎ。




父が永眠しました。





享年84歳。




突然の事でした。






その日の午前10時半頃、介護サービスを受けるための細かな手続きをしにケアマネさんが来ていました。


一通り手続きの説明が終わり、ケアマネさんが帰るとき、普段ならとっくに起きてテレビを見ている時刻なのに、まだ起きて来ない父に、挨拶をしてから帰ると言って、父が寝ている部屋に行って声を掛けてくれたんだけど、父はまだ寝てる風。


残念そうにケアマネさんは帰っていきました。


母によると、父は夜中、トイレに一時間毎に起きていたらしく、


母「寝不足だからね。」と。


でも、お昼近くになっても起きて来ないので、母が父を起こそうと声をかけにいきました。


母「おじいちゃん。


…おじいちゃん? 


おじいちゃん!?ちょっと? 


おじいちゃん!!」


母の叫び声に驚いて部屋に行き、何度呼び掛けても反応がありません。


救急に電話をして、今の父の状態を伝えると、救急車が到着するまで「ベッドから床に身体を下ろし心臓マッサージをしてください」

と言われ兄と私で交代しながら心臓マッサージをしました。


救急車が到着して救急隊の方達も代わる代わる心臓マッサージをしてくれていました。


微弱だけど、心臓の鼓動が戻り、母と私で救急車に乗り込みました。


搬送先が通っている総合病院に決まり、救急車で向かいました。兄も車でその後を追いかけて来ます。


病院に着き、先生方や看護婦さん達がいろいろ処置をしてはくれましたが、一度は回復した鼓動も止まってしまった事と、心臓マッサージであばら骨が何本か折れてる状態で、


「回復しても痛がるだけだからこのまま逝かせてあげた方がいいと思いますが、どうしますか?」


と先生から説明を受けました。


母「…しょうがないよね。また痛がるのは可哀想だから…。」


私「うん…。」


まだ兄が病院に着いてないらしく、勝手に決めていいものか躊躇しましたが、母と顔を見合せると同時に頷きました。


母、私「分かりました。」


心電図や呼吸器が外され、看護婦さん達が父に手を合わせてくれました。


看護婦さん「身体を綺麗にしますので、しばらく待合室でお待ちください。」


待合室で待ってる時に兄が来て、父が亡くなった事を伝えました。


兄「受付で『救急搬送された者の家族です』って言ったら、『搬送されていません』って言われてさぁ。」


兄は受付で足止めを食らっていたらしいです。(後で受付の人が謝りに来ました。)


しばらくして、看護婦さんから葬儀社を決めてほしいと言われ、リストを渡されました。


葬儀社を決め、TELをして1時半頃に迎えに来てもらい、父と一緒に家に帰りました。


通夜は2日後、それまで父の傍らで3人、泣き笑いで過ごしました。


それから葬儀が終わるまで、あっという間で、初めてな事柄に訳が分からず過ぎて行きました。


よく身内が亡くなると、悲しんでる余裕はないといいますが、本当ですね。


いろいろ名義変更もしないといけないので、銀行やら市役所やらを飛び回っています。


今日は、四十九日までに位牌を作ろうとパンフレットを見ながらみんなであーだこーだ言い合って、位牌を注文して来ました。


そんなこんなで、落ち着くまではまだ時間がかかりそうですが、何とかやっていこうと思っています。


父の葬儀が終わってから2日後、兄が、


「オヤジからキャットタワーを買ってやれって言われてお金を預かってたの忘れてた。」


と、キャットタワーを買ってきました。





父からの最後のプレゼントです。

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